アルファードと犬の部屋
 
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あすかのオリジナル

日本三大火祭り「松明(たいまつ)あかし」

カヤ刈り作業も終了しました
今年ももうすぐ松明あかしの時期ですね~
寒いので雪は勘弁していただきたいのですが・・
由来を載せましたので読んでくださいね

       

         [松明あかしの由来]

 今から約400年以上も前の天正17年(1589年)6月、伊達政宗は、会津黒川城(若松城)城主芦名氏を滅ぼし、その余勢をかって須賀川城を攻撃しようと、密かに岩瀬地方西部の諸将に密使を遣わしていました。

 このときの須賀川城主は二階堂盛義の後室大乗院で、気丈な女城主であり、しかも政宗の伯母でもありました。 政宗が攻撃した会津黒川城主芦名氏は、また大乗院の嫡子である盛隆が城主をしていたこともあって、快しとしませんでした。

 政宗の計略に怒った二階堂家の家臣や領民たちは10月10日の夜、手に手に松明をともし、町の東の丘(十日山)に集まりました。そこで決死の覚悟で須賀川城を守ることを決議し、城主である大乗院に進言したのでした。

 同年10月26日、伊達政宗は大軍を率いて須賀川を東西に流れる釈迦堂川の北側にある陣場山(現須賀川桐陽高校)に本陣を構え、釈迦堂川を挟んで合戦の火ぶたが切られたのでした。

 しかし、前々から政宗に内通していた二階堂家重臣の守谷筑後守は、城本丸の風上にあった二階堂家の菩提寺・長禄寺に火を放ったのです。 火はたちまち四方に飛び火し、町中が火の海と化してしまったのです。須賀川城は火炎に包まれ、家臣の大部分は城と運命をともにして悲壮な最期を遂げたのでした。文治5年(1189年)から400年の長きにわたり、南奥羽の雄として権勢を誇った二階堂家、須賀川城も遂に落城してしまいました。 「松明あかし」は、この戦いで戦死した多くの人々の霊を弔うために行われるようになった行事です。

 昔は旧暦の10月10日に行われていましたが、現在は新暦の11月第2土曜日に五老山で行われています。

 この五老山は、天正9年、三春城主・田村清顕方と須賀川城主・二階堂盛義の老臣5人が和睦の交渉をしたことから、五老山と呼ばれるようになったところです。



10月8日(月)20:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | あすかのオリジナル | 管理

スゴイ荷物・・・

自転車やら学校の荷物やらスゴイ荷物です~
やっと上のお姉ちゃんが退院できます

看護師さんたちに夜逃げするの?と言われるほどで・・
1ヶ月近い入院生活のため、病院から学校へ通ったので
アルで1回運んでもまだあります~

どれだけ持ち込んだの?と思うほどです。。
これで家族がやっとそろいます



10月7日(日)20:40 | トラックバック(0) | コメント(2) | あすかのオリジナル | 管理

そろそろオープン!

色々ありましてパスワード制にしてましたが、
またオープンすることにしました
これからもよろしくお願いします



8月22日(水)21:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | あすかのオリジナル | 管理

ツバメたち

いつの間にやら巣を作ってたと思ったら
ピピピと鳴き始めて
巣から顔をだしたと観察していると



大きくなりました
もうすぐ巣立ちの日が来そうです
来年は家族が増えて戻ってくるかな?
楽しみに待ってるよ



8月13日(月)15:49 | トラックバック(0) | コメント(2) | あすかのオリジナル | 管理

リンクの件

リンクさせていただいていて申し訳ありませんが、
長期間にわたり更新していないHPは削除させて
いただくことにしました。
自分も放置気味でみなさんには失礼を・・
これからは頑張って更新していきますので、
どうぞよろしくお願いします



6月17日(日)12:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | あすかのオリジナル | 管理


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